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桜井哲夫氏はハンセン病のために国立草津療養所栗生楽生園に収容され、世間とは差別隔離された生活を余儀なくされた。ハンセン病は不治の病で伝染病で遺伝病であると固く世間に信じられ忌み嫌われ、名前さえ忘れ去られて生きていたのである。26歳で子供を産んだ(ハンセン病の親同士の子供は強制的な堕胎が当たり前だった)後亡くなった妻真佐子さんのお父さんは侵略者としての意識を持って朝鮮半島で働いていたそうだ。千鳥ヶ淵霊園には、第二次世界大戦での在日の韓国・朝鮮の戦争犠牲者も日本人とともに祀られているという。虐げられた運命を持った者だからこそ、虐げられた人々への哀悼は切実でわたしたちのこころを捕らえて離さない。 千鳥ヶ淵霊園に祀られた人々にも 大きな期待と願いを込めた 両親や祖父母や知人達によってつけられた 立派な名前があったはずだ どうしてその人々が 無名の墓に眠らなければならないのだろうか 沸々と湧く怒りに手が震え足が震えた 一緒に頭を下げている石川逸子も金正美(キムチョンミ)も権徹(ゴンチョル)も 赤尾拓子も同じ想いなのだろう 木立に鳴く蝉の声さえ怒りに震えていた 「桜井哲夫詩集」:土曜美術社出版販売 2003年1月発行 1400円(税込1470円) |
1931年4月 水元村立水元尋常小学校妙堂崎分教場入学 1939年3月 水元村立水元尋常小学校高等科卒業 1941年10月 国立療養所栗生楽泉園入園 1953年 失明 1983年 栗生詩話会入会 1985年 受洗(カトリック) 1988年11月 詩集『津軽の子守唄』 1991年1月 詩集『きんよう』 1994年5月 詩集『無窮花抄』 1996年8月 散文集『盲目の王将物語』(「久遠の花」などを所収) 2000年4月 詩集『タイの蝶々』 2001年5月27日より5泊6日で韓国釜山を訪問 2002年1月 詩集『鵲の家』 2002年2月14日 NHK綜合テレビにんげんドキュメント〉「津軽故郷の光の中へ」に出演 | ![]() |